各地友の会だより

2019年度の大きな活動は例年通り、春のバス旅行と秋の1泊旅行です。春のバス旅行は、市から障害支援バス(無料)をお願いしました。他にNPO海外青年交流協議会からバスや車椅子の乗降のボランティアを頂きました。最初に金沢市のお隣-内灘町-の「歴史民俗資料館」を見学しました。朝鮮戦争のころ内灘海岸に米軍の試射場の建設の反対運動「内灘闘争」の歴史と、内灘の隣町-粟ヶ崎-にあった北陸の宝塚と言われた「粟ヶ崎遊園」のことを学びました。

内灘の歴史を学んで、近くのBBQ場でお昼を頂きました。

ビールやソフトドリンクと共に、バーベキューを楽しみました。

ボランティアさんや家族の手伝いを頂きながら、回らない口を動かし摂る、食事とコミュニケーションを楽しみました。

昼食後、温泉施設に行きました。お風呂に入れないので、足湯に足を突っ込み、のんびり過ごしました。

秋には、一泊旅行をしました。2019年は白山麓-白峰-の望岳苑-で一泊しました。

そこは、白山登山の基地のような施設で、食事は山菜と川魚中心でした。久しぶりに岩魚の骨酒を頂きました。みんなで大きなお皿を回し飲みし皆、兄弟(姉妹)になりました。肉系の食事が無かったのが寂しかったです。

近畿SCD・MSA友の会の仲間からも参加を頂き、楽しい夜を

楽しんだのであります。

2020年もこれらのイベントを中心に、オカリナ教室に参加している仲間と老人施設の慰問演奏で少しでも幸せのお裾分けを続けたいと思っています。

令和2年9月27日のリモート医療講演会を終えて

今回のZoomでのオンライン医療講演会の実施には、石川県出身でもあります東大病院の三井純先生のご縁と、三井先生の所属されております分子神経学の第一人者の辻省次先生の寛大なご厚意によりこの小さな石川県の友の会にお力添えをいただきましたこと、大変感謝しております。

講演会の後半では、お忙しい中お時間の調整をしてくださりサプライズ出演に登場してくださいました京大病院の高橋良輔先生と、弊会の会員が多くかかりつけ医でお世話になっております石川の国立医王病院の駒井清暢先生と4人でのセッションは、医学部生の視聴者様からも大好評で地域に寄り添ってくださった先生方々の御尽力にとても感謝しています。

冒頭の映像の音が出ないなど小さなトラブルはありましたが、数か月かけて何度もテストを繰り返したこともあり、予定通りの時間内で無事に終えることができました。

とは言え、初めから会のみんながZoomを使えていたわけではありません。

まずは役員でLINEのビデオ通話というテレビ電話というものを使い始め、オンライン会議のための練習をしました。

実際には、各家庭の息子・娘さんや、奥様、お孫さんなどがLINEのビデオ通話のセッティングに協力してくださり、無事、メンバーでビデオ通話を使うことかできました。

パソコンはなくてもスマホなら、会員の皆さんやご家族が身近に持っているのですぐに始めることができます。

スマホならiPhoneでも、Androidでも、あらゆる機種が一斉にビデオ通話をすることができます。

ただ、人数が増えたり機種によっては着信音がならないようで、受け手が気づかないこともあり、事前に、皆さんで、日時を決めてLINE画面で待機しているとスムーズにビデオ通話をすることができます。

私達はこのようにLINEでビデオ通話に慣れることから始め、役員会で経験を重ね、会員数が28名ほどと少ないこともあり、今では会の方々との1対1でのやりとりもできるようになりました。

コロナ禍というきっかけではありますが、この難病になっても、高齢になっても、LINEでつながることができました。

その後は、会で思いきって時間制限がなくなるZoomの有料オプション会員になり、ほとんどの方がすぐに慣れて上手にポンポンとZoomに参加できるようになりました。「

安否確認」だったり、「今日は何食べた?」「次回は、ドリンクやお菓子持参でリモート会議してみよう!」「総会どうする?」「遺伝子治療・最新医療について」等々本当に様々なことについてお話しました。企業ほどの立派な通信環境ではないけれど、私たち難病患者や家族が身近なLINEで交流することからはじまり現在では、新潟・富山・福井・山形・長崎等の事務局とZoom交流会も開催しました。

コロナ禍の影響で会えなくても、画面で仲間たちに会える喜びには自然と笑顔になります。何事もひとりではできません。みんさんの思いと行動がひとつの輪になり不可能でも可能性が生まれます。

通信が込み合う時間では、フリーズしてしまう課題も多少はありますが、今回のことで、LINEやZoom環境、使い方をご支援してくださった家族のありがたさと、家族も会の一員なんだなぁとつくづく思いました。

遺伝性「脊髄小脳変性症」と「治験」について

私が今患っている難病の「脊髄小脳変性症」について少し話させて下さい。

 兆候らしきものを感じたのは50歳半ば頃でしょうか。当時の私はいわば人生の脂の乗り切った絶頂期とも言うべき時期を過ごしていました。

公的には金沢市議の2期目で、同時に保育園の理事長・園長職にあり、私的にも消防分団長、町会長や早朝野球チームの選手オーナーでリーグ会長という具合に順風満帆の生活でした。

異変を感じたのはその時分で、議員として出席したセレモニーで紹介を受けて立ち上がった時にふらつく。田圃の畦道を歩いていて何度もバランスを崩して足を踏み外す。野球をしていてフライが捕りづらい。バットとボールが当たらない。極め付きは、3期目の選挙に落選した半年後の秋ですから56才の時、3ブロック職員懇親ボーリング大会の折、昨年まで2ゲームのアベレージが150点あったのにストライク、スペアー共に一つも取れず、80点まで急落してしまった。これにはさすがにショックでしたね。

その時分、4歳~5歳年下の弟・妹も同時に変調をきたしており、しかも私よりも進行が早い。

その内、60歳過ぎに歩行の不自然さを自覚し、65歳位には走れなくなった。

65歳の時、公園で年少組の孫に追いつけず、情けない思いをしました。

 既にその時、弟は杖、妹は手押し車の助けがなくては歩けない状態でした。

 それに比べ私は、まだ、これくらいで喜ばねばと思っています。

 人生そのものも終局に近づく年齢であり、最盛期には事なきを得ている。

 母はこれが原因で79歳で入院したものの、病気に関しては寡黙を通しました。

 働き盛りに症状が出たら、あるいは青年期にその症状が襲ったらと思うと冷や汗が出る思いです。現にそういう人達が大勢います。その人達は収入にも事欠き、経済的不自由さを強いられています。また、常に他人の介助を必要としている人達も多いのです。

 改めてスマホを使って「脊髄小脳変性症(SCD)」とはどういう病気かを調べてみました。

主に小脳の細胞の変性(失調)により、「歩行時にふらつく」「ろれつが回らず話しづらい」「不規則に手が震え目的の物をつかみづらい」その他様々な運動失調症状をきたす病気の総称とあります。

原因は様々ですが、遺伝性と非遺伝性(弧発性=多系統萎縮症)に大別され、日本全国で3万人を超える患者がいると推定されています。

 また、その内遺伝性が1/3、非遺伝性が2/3といわれています。

 遺伝性の脊髄小脳変性症の症状は似通っていてもその原因等により幾つもの型に分けられおり、日本人はSCA3・6・31型が多数を占めていて、私の母親系親族はSCA3型(マチャド・ジョセフ病)です。

 ちなみに、遺伝率は約50%と言われていますが、私の親族に関しては、亡母は4人姉妹の長女ですが4人全員、私のきょうだいは全員、罹患率は高いです。

 生存親族(第4親等まで)患者数は9人、可能性のある者10人。

 仮に可能性のあるいとこの子まで含めるとその数は数十人となります。

母親家系から来ているこの遺伝子はなかなか強く、しっかり引き継がれているようですね。

この負の遺産はどこかで断ち切らなければなりません。

さもなくば、これを軽減しなければなりません。

それが先に生まれた者の務めだと思います。

私は家族には全てを伝えてあります。一人娘も罹患の可能性については既に知っており、自分の人生設計に既に織り込まれているはずだと思います。

遺伝子検査をすれば分かることとは言え、このことを伝えるのは、これからの人生がある程度限定されることでもあり、勇気のいる決断を要します。

この難病の患者と家族で作る友の会の仲間の女性が、家族に打ち明けたため、結婚予定の息子さんの相手方に伝わり、破談となった話しを聞きました。

それが現実です。

家族を含めその事実を伝えるかどうかは判断の分かれるところでしょう。

しかし、近年の医療技術の進歩はめざましいものがあります。

特に遺伝子分野での進展には目を見張るものがあり、その中でも再生細胞医療は画期的です。

今回の治験はその成果を活かしたもので、台湾の健康な成年の正常な遺伝子を培養し製薬化したものの安全性と効果を試すための治験です。

脊髄小脳変性症のSCA3型とSCA6型の治療薬の開発と製品化を目指したもので、既に第1相治験である安全性の検証が終わり、第2相治験の実施です。

第1相は数人の治験参加者で実施しますが、第2相治験はより広範囲での臨床試験によって、新薬の更なる安全性と薬の効果を調べるものです。

全国にいる対象患者1万人を超える患者の中から、適格者(比較的軽度の患者の中で適正基準を満たした者)を50名選び、全国の10ヶ所の医療機関で治験を実施するものです。

その治験参加のため、私は1月19日に信州大学付属病院で2泊3日短期入院をしてきました。

治験そのものは中日、1時間足らずの試薬の点滴だけですが、2泊3日の大半は事前検査と経過を見るためのものです。それを1ヶ月ごとに3回実施します。

どの治験も一緒だと思いますが、治験参加者、今の場合参加者の50名を半数の25名ずつのグループに分けます。

半数には試薬を投与します。残りの半数には試薬を抜いた溶液を投与します。

これをプラセボ効果といい、治験にはこれがつきものです。

事前説明ではこのことの説明を受け、納得した上での治験参加となります。

つまり、試薬を投与される確立50%,ただの水を投与される確立50%です。

根底には人間心理としてある「偽薬でも良薬と思い込めば効き目が生ずる」

可能性を極力排し、純粋な薬の効用を引き出すための人間心理の応用ということでしょうか。

 グループ分けは「コインの裏表」のようにくじで振り分けられます。

50%の運試しですね。唯の「水」だけを飲まされるために治験に参加することも十分考えられます。その確立50%です。治験前にはそのことは本人にも担当医にも秘密にされます。

 メリット、デメリットだけで考えれば、

・試薬を飲んだ人=薬に効き目があれば良くなる可能性があります。副作用の可能性もあります。

・水を飲んだ人=効き目はなく症状に変化はなし。副作用もありません。

 新薬の効き目をより精度の高いものにするために必要な措置ともいえます。

 それが「治験」です。薬の効果を先取りできるというメリメリットだけを

期待しての治験参加は半分の確立で期待はずれの可能性もありますが、新薬製

造のプロジェクトに参加できたということで満足すべきでしょう。

 話しは変わりますが、昨年秋のノーベル化学賞は「ゲノム編集」の新たな

手法を開発した二人の女性研究者が選ばれました。

 「遺伝子情報(ゲノム)の狙った部分を極めて正確に切断したり、新たに

別の遺伝子を組み入れたり出来る」手法を開発した功績に対するものです。

 凄いですね。科学の発達は正に日進月歩ですね。

 これが遺伝性の難病の根治に繋がればこんなに幸せなことはありません。

 さて、治験と新薬への期待を持ちつつも、私はリハビリによる症状緩和と進

行速度の軽減に努力したいと思っています。

 そして、出来れば症状の違いに応じた、その人に合った適切なリハビリメニ

ューがあれば良いと思っています。

 正直言って、現在のリハビリは画一的で、本当にその人にあった、より効果

のあるリハビリかどうか少し疑問を感じています。

 課題は沢山ありますが、一つ一つ地道に努力していこうと思います。

遺伝性脊髄小脳変性症(SCA3型・6型)の治験参加

遺伝性脊髄小脳変性症、この自分達が現在抱えている難病については、意外と当人自身が知らないことが多い。

一つには今までこの病気は治療薬もない難病で、どうせ悪くなる一方で良くなることなどないという諦めみたいなものが根底にあり、それがどちらかといえば自暴自棄に陥りやすい状況を作り出していたように思える。

ために自分達が遭遇している「病」に直接向き合い、相手を深く知り、克服してやろうという意欲、熱意を削ぎ、いわば諦めに似た精神状態に陥っている人が多いように思う。

母や叔母達がそうだったし、祖母に至っては訳もわからずに逝った。

常々思っていたのだが、この自らが陥っている、まるで袋小路のような出口の見えない状況にただ手をこまねいているだけでいいのだろうか。

つまり、自分だけが何故?と自分だけの殻に閉じこもるのではなく、この問題は他者と共有し、解決への道を探すべきではないか。

他者とは当然家族や知人友人ということになると思うが、実際のところは家族にすら打ち明けられないこともあるようだ。

これは非常に残念なことで、そのことが難病に対する一般の人達の認知度、理解度を弱め、ひいては治療法の進歩を阻んでいるようにすら思える。

実際、友人知人に自分の患っている難病「脊髄小脳変性症」のことを話しても、十中八九は初めて聞く病名だと言う。

私は私の残り少ない自分の晩年のライフワークはこの難病と向き合うことだと思っている。

そのことが子や孫の幸せにつながると確信している。

そして、その克服のため自分の出来る範囲のことはやってみようと思う。

それが「治験」に参加してみようと思い立った理由である。

リハビリは自分のため、治験参加は子や孫のためと割り切っているつもりだ。

約2年前この難病が元で酔った帰り玄関階段で転倒、踝骨折で1か月入院、それから退院後1年半以上毎日平均1万歩以上歩くのが日課となった。

効果はそれなりにはあったと確信して今も続けている。

あれ以来病状は少し進行し、ふらつきは進み転びやすくなった。しかし転倒には至らず踏ん張れるようになった。

就寝時のコムラ返りがなくなり、痙攣痛も少なく睡眠が取れるようになった。

体重が5キロほど減り体のふらつきと歩行に問題はあるが、体調は良い。

 この病気を患ったせいか、良い悪いは別にして今までの行き当たりばったりの生き方でなく、少しは残りの人生の事を考えるようになった気がする。

 そう思い始めた頃、思わぬ大きな転換期が訪れた。

 遺伝性「脊髄小脳変性症」の症状進行を止める新薬の登場である。

 ここ数年で急速に発達した再生細胞医療のお蔭だとも聞いた。

 さてこのリプロセル社が開発中のステムカイマルという新薬だが、今第1段階の治験(安全確認)が名古屋大学で終わり、第2段階の治験(効果確認)を全国10医療機関で実施すべく治験参加者の絞り込みをやっている。

 現在の募集状況は知らないが、治験参加者募集の情報を私が初めて入手したのが5月、全国10か所の医療機関の決定と治験募集が開始されたのが8月。

 初め新潟大学に申し込んだが、すでに治験参加者決定済みで、第2候補の信州大学に申込みし直したところ、まだ空きがあるというので8月28日信州大学医学部付属病院へ出向き担当医の検診、面接を受け「良」との返事を受け、帰って家族の賛同を得、9月、信州大学医学部付属病院での治験参加が決まった。

 治験参加者数は10医療機関合計で50名。全国の患者数は約1万数千人。

治験参加者のなるには条件がある。

治験対象者は比較的軽度な者に限り、適合検査と主治医の紹介状がいる。

主治医が適性を判断し治験対象機関へ推薦、紹介状を書いてくれる。

受理されればその治験実施病院へ出向き、担当医師による再検査・面接を経た後諸条件を提示され、良ければ応諾し決定される。

このステムカイマルという薬は症状を改善薬ではない。進行を止める薬だ。症状を現在の症状でストップさせる薬で、治す薬ではないということは既に症状が出ている患者は良くならずそのままの状態ということだ。

朗報である。「朗報」と言い切るのは、この薬の公認が子、孫へと連なる子孫への負の連鎖を断ち切られるかもしれないという期待からだ。

はっきり言って私はこの新薬の自身への効果はそれほど期待していない。

勿論運よく症状にストップがかかればそれに越したことはないが、別になくとも余命はリハビリで何とかしのいでいければと思っている。

もしこの薬が良薬として日の目を見ることが出来たら最高だと思う。

そうすれば、遺伝子検査も積極的に受ければいいと思う。

病気の遺伝子がなければ幸い。仮にあっても症状を抑え込む薬がある。

少しでも症状らしきものが出た時点で投与すれば、そこでストップする。

場合によっては症状が出る前に投与すればその時点で完全に封じ込める。

健常児のままということも可能かもしれない。

陰湿な話題が明るい話題に変貌する。こんな朗報はない。

2020.11.15カフェ・スィーツ交流会

11月15日 今年はじめて、リアルな交流会が実施できました。

今年初めから、全世界的にパンデミックを引き起こしているコロナ渦のなか、外出がはばかれるなか、とやまからの参加もいただいて、久々に直接皆の元気なお顔を見れて、楽しい交流会になりました。

参加できなかった人とは、ZOOMによるリモート参加も実現しました。

山形や新潟、長崎の同病で苦しんでいる方達とも交流が叶い、有意義な交流会が行えました。

昼食、スイーツ、会話の楽しい一日でした

EPSON MFP image
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リハビリの大切さ

 

発症から1年後にSCD友の会に入会しました。 そこで驚いた事は皆さんが笑顔で東京へ言って来たと話していました。(なんでそんなに明るく居られるのかなあ)と思いました。それと同時に私もこれからの人生をまだ楽しめるかもと思えるようになりました。
そして友の会の旅行や温泉、家族旅行などと楽しい生活を過ごして来ましたが最近は、歩きや椅子からの立ち上がりが難しくなってきたので理学療法士の指導
でリハビリを頑張る事にしました。リハビリの効果がでたのは、コロナウイルスの影響で5月に自粛していた時に、通っていたデイケアやB型の事業所を休んでいましたが家で毎日テレビの体操とデイケアからのリハビリのメニューをこなしていると6月にデイケアでの3ヶ月ごとにしている体力テストの結果が前と変わらないか少し上がっていました。驚きや嬉しさがありました。毎日わずかな時間ですが続ける事が良かったみたいです。寝る前にも10分位体を動かしています。
現在は友の会の方々とコロナウイルスで会うことが出来ませんが また元気で会う為にリハビリを頑張っていこうと思います。     えつこ

自分の人生・感謝

小学校2年生頃、「歩き方がおかしい」と周囲の人から言われ、病院を受診したところ、「筋肉が付けば良くなる」と言われ、小学校では野球を頑張り、中学生になる頃には、走る事が苦手になり、卓球をはじめ、中学3年生の時には、石川郡(市)の大会で個人優勝しました。
高校では卓球・上半身は元気だったのでウェイトリフティングをやっていました。
経理学校に進み資格取得し、銀行に9年間勤務し、その後、父の経営している車の鈑金塗装を一緒にニ人三脚で頑張ってきました。
結婚し子供も3人授かり、病気も歳を重ねるにつれて、歩行も困難になり今では車いす生活になってます。
この人生いろんな試練を乗り越えてきました、でも障害者になったおかげで、野球・卓球・アームレスリング・ベンチプレス・車いすマラソン、出来るに挑戦できました。
離婚も経験しましたが、孫も恵まれて感謝してます。

友の会では病気をかかえたたくさんのメンバーに恵まれ幸せ者です。

先月の27日には、コロナのために自宅にてのリモート医療講演会になってしまいました。
今月の9日に日帰りですが、コロナのために、友の会の代表として、お礼に東京に行ってきました。

全国友の会の会長中村さんに痙性対麻痺の情報を共有していただき、その後、東大の辻先生・三井先生にお会いし貴重なお話医療講演会の中で聞くことが出来なかったことも聞くことが出来ました。
また、私自身のことも聞いていただき、アドバイスを貰う事ができ、私自身の病名が分かっていなかったので、少し希望が持ってました。
今後の石川だけでなく全国のこの病気の治療法や検査なども協力してくれるみたいなので、今は、治らない病気かもしれませんが、将来は治る病気なるのではないかと希望が持ってました。

十分幸せです。

いしかわSCD.MSA友の会 会計をしています。「さかもっちゃん」です。

この会の誕生と同じ年数この会にいます。

現在は、就業支援A型事業所に通っています。

作業内容は、

  • 能登ヒバで作ったハガキ、しおり、ブライダル
  • 海洋プラスチックで作ったアクセサリー、ペットボトルで作ったアクセサリー、お花で作ったアクセサリー
  • 木(能登ヒバ ヒノキ)のチップ、後は皮製品 私は主に木のカットをしてはがきやしおりを作っています。

私はSCDの痙性対麻痺ですが、19歳の時交通事故で一度に2度ひかれ半年寝たきりでしたが、復活。

子宮内膜症で子宮摘出、乳がん、喘息で2度、副鼻腔炎で2度入院経験あり。

30過ぎから退院すると杖が一本増えて今では4本足の両手杖です。

家の中では、お盆の付いた歩行器でお料理を運んだりして歩いています。

夫と外出する時は車椅子に乗せて貰っています。

最近、玄関に昇降椅子を設置してもらいました。

週2回寿ハリに半日リハビリに通っています。

月に1回第2土曜日は難病センターへオカリナ教室に通っています。

今はコロナの為お休みですが、オカリナは初めてでもリコーダーが出来れば弾けます。

すごく楽しいです。

しかし、だんだん体が動かなくなり参加できる人が少なくなってきました。

オカリナ教室入りたい人いませんか~

これまで、老人ホームなどたくさんの場所に慰問に行きました。

メンバーの奥さんの通っているホームのクリスマスパーティでオカリナを演奏したことが素敵な思い出になっています。

長くなりましたが、自己紹介させて頂きました。

後、少し先の未来にこの病気の新薬ができるそうですが、素晴らしいことです。

しかし、私はこのままでいいと思っています。

こうなったのも、何か意味があることだろう。それに良くなっても元気な頃の生活に戻れないだろうと・・・・

もし、走れるようになれるなら、良くなった第2の人生を歩みたいと思いますが。

ケセラセラ(笑)皆さんのお陰で十分幸せです。

けいちゃん

難病支援センターの事業に「語り部授業」があり、県下の難病患者による患者の声を伝える事業があります。

2014年の夏にSCD患者の声を医療専門学校の生徒に伝えて欲しいとういう依頼がありました。

講演時間は90分ということで、下記の資料をもとに講演を行いました。

パワーポイントで70ページのスライドショーにし、お話をしました。

まだ、その頃は杖を使えば自分で歩行もできました。

自分は構音障害も比較的出ておらず生徒たちの前で比較的にスムーズにお話ができたのではないかと自我自賛していますが、聞かれた生徒さん達にはどう映ったでしょう。

リハーサルなしの本番でしたが、講演時間も85分、残りは許される限り質問時間にしました。

今頃は、その頃の生徒さん達は、PTさんやOTさんとして、現場の第一線で活躍していることでしょう。

当時のスライドショーを動画で載せます。